免疫過剰な時代とわたし

~Mao動画撮影*時々アップします♡~

昭和39年(1964年)

高度成長期真っ盛りは、東京オリッピック開催をピーク。

昭和45年(1970年)

大阪万博、一直線に経済優先な世の中が始まっていきます。

私の幼少期。

赤や黄色の色粉たっぷりな飴玉をくわえて、

時々母親の買い物に街へ連れていかれ、

電車を待つ間に入った喫茶店では必ず、

緑色のクリームソーダと、

鉄板に乗ってくるナポリタンのスパゲティを注文し、

食べて帰るのが楽しみでした。

 


粉のクリームソーダや、昭和46年(1971年)発売した某カップ麺も流行ってました。

舌が緑色になったと言って見せて喜ぶわたし。便利、快適を軸に、人は、もっともっとを追い求め、その真っ只中の昭和44年(1969年)

わたしは、腎盂炎、尿毒症、敗血症という大きな病気に苛まれます。

小学校浪人をして命は助かったのもの、その数年後、アレルギー反応が出てくるのです。

お布団の上げ下げをしても鼻はムズムズ、ティッシュペーパーを手放すことが出来ません。

免疫過剰な私の始まりは、

免疫過剰な社会の情勢とも相まっていたと思うのです。

コメント: 2
  • #2

    流離天使 (火曜日, 24 4月 2018 13:01)

    僕も同じ世代です。
    畑で遊んだな。でもよく考えると沢山農薬巻いてたのかな?
    でも蓮華もあったし、つくしも取ったね。
    今よりはもっと泥と親しんでいた時代だったね。

  • #1

    ちいちゃんのお母さんより (火曜日, 24 4月 2018 12:49)

    暮らしが優しく、変わりなく日々が暮らせたら…
    とっても気になります。
    楽しみです。