⑧第三章 愛することが処方箋2

7愛するって?

 

「愛されてない」は、勘違い

 

 心のアンバランスは、大体と云ってよいほど、悩みに対して起こり、自分対他人との関わりに起こることが、多いものですが、自分が他人に気に入られていると思う時には起こりません。また、他人でなく、自分自身の悩みであっても、第3者的に自分を気に入らない時に起こります。自分が気に入っていて起こることはまずありえないでしょう。つまり悩みの原因のほぼ殆どが、気に入られていない自分を認識すること。つまり、気に入らないことを愛されていないと勝手に思い込んでいるのです。そうして、愛されていないと勘違いした自分を認識する時に、心はアンバランスになって行くのです。心のアンバランスが、血流を止めるという事は、愛せないと血流が止まるという事でしょう。

 

 簡単です。何が何でも愛することを徹底的に行うことが、血流が安定してめぐり、血流が止まらず、皮膚が安定して、アトピーが起こらないという事になりますね。

 

 “愛することが処方箋”自分を愛し、他を愛することが最大の処方箋なのです。

 

 でも、「愛せないもん」という人に一つ助言です。愛することは、こちらからの一方的な思いで充分です。相手に気に入られなくても、心の中で、とにかく愛しちゃうのです。

 

 愛することは、愛されることでは無いと覚えておいてください。心の中でならストーカーにはなりません。それならできますよね。相手は関係ないのですから…!

 

赤ちゃんは愛される存在

 

 唯、赤ちゃんは、愛されることが当然と思えるようになるまで、一方的に周りが愛してあげましょう。目いっぱい愛する大人がいて、大人になっても愛されたいと思わなくなるほど当たり前に愛されて成長し、当然愛されるべく可愛い状態でこの世に存在しています。赤ちゃんを見ると無条件に微笑んでしまう様に神様が作ったのでしょう。

 

 アトピーの赤ちゃんは、より以上に手をかけ愛してあげましょう。いっぱい触ってあげましょう。触れない時がより重要です。いつも意識を向けてあげてください。

 

 ひとりで愛に欠けそうなお母さんは、ぜひ、赤ちゃんをシェアハウスで育て、沢山の人達に意識を向けられるような環境を作ってあげてください。愛される。とは、幼き日に、身体も意識も触れられることが、多かった人は、愛されていることが当たり前になって、愛されたいなんて思うことがありません。だからこそ、自らが愛することが上手くなるものなのです。

 

 残念ながら、幼き日に愛されることが当たり前じゃなかった人にもう一言。

 

 自然がいっぱいな中に行くことをお勧めします。また、自然がいっぱいなお野菜を頂くことをお勧めいたします。無条件に神様が私たちを愛していることに気が付かされます。自然は、無条件に私たちに数々のものをプレゼントしてくれています。そしてそのことに愛を感じるはずです。無条件の愛。私は、植物たちに、ことのほか無条件の愛を感じます。だから野菜や果物が大好きです。

 

 私が毎日頂く、お野菜をちょっと紹介します。福岡県の糸島、松尾さんが作る“ほのぼの農園”の野菜は、小さな草花の間に共演する野菜です。自然というキャンバスに描かれた実物の絵で、その野菜を食べると、いつも涙が出てきます。野菜たちの魂に出会えるからでしょう。大分の赤峰さんの農場のにんじんには、豊かな土の味の中に、大地というお父さんの包容力と強さを感じます。熊本のシュタイナー農法の“ぽっこわぱさん”の野菜には、自然 界と共演する人間の叡智を感じます。そして、ひっくるめてしまい申し訳ないのですが、大分久住やその周辺の道の駅の野菜も、足りなくなるといつも頂く、近所の普通のお野菜たちも、無農薬でなくても賢明に生き、一生懸命に我々を愛してくれています。何も云わずに私たちに命を捧げてくれています。そして、太陽、水、空気。自然のものは計り知れない愛を私達に贈ってくれます。

 

 ほら、息が止まっていますよ。呼吸して、さあ、おもいっきり吐き出してみましょう。吐き出せば、山のように勝手に空気は入ってきます。こんな自然の無い都会でも、空気はいつも意識すれば傍にいてくれていますね。愛されているでしょう。

 

ちっぽけな欲張りより、大きな欲張り

 

 愛されていないと勘違いすると、人はついつい寂しさを補う為に欲張りになります。寂しさを埋めるために何でも自分の傍に置くことを望むのです。アトピーは、愛されていないと勘違いしていますから、やはり欲張りの傾向があります。

 

 あえて、ちっぽけな欲張りと云います。ちっぽけな欲張りとは、たった今、意識している自分のことだけの為に欲張ることを云います。その時だけの心地よさの為に考えてしまう、自分だけ。が、ちっぽけな欲張りです。ちっぽけな欲張りの人は、考え方に、分けようという気がありません。ですから、古くなったものをいつまでも取っておくのです。本当に必要なのではなく、置いておくことに安心感を覚えるのです。それは、寂しさや、愛されていないというところから始まるのです。モノに対する執着もそうですが、ヒトに対する執着も相当なものです。また、呼吸も浅く、古い息が身体中に溜まっています。もちろん新しい空気が沢山入らないので、身体は酸化します。排便も悪く、おしっこの回数も量も少なかったりします。つまり毒が身体中に滞っているのです。

 

 ちっぽけな欲張りの溜め込み上手の方に朗報です。大きな欲張りになれば、ちっぽけな自分の身体の中に溜め込まなくて済みます。地球全体が、私の身体だとでも思えば良いのです。捨てるわけでも、あげるわけでもありません。全てが自分ですから、ちっぽけな私から放出されても、無くなることはありません。横に置いておくような感じです。私の一部がイロイロやっているなと、一気に引いて地球の上からモノを見るように、まるで神様にでもなったように上から見ちゃえばいいのです。

 

 簡単でしょ?そう、全部私です。だから、全部出しちゃいましょう。

 

…画像Mao撮影:久高島神人宅にて…

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