②第一章 私はアトピー 1

1 アトピーに詳しくなった私  

 

私の経緯

 

   小学生高学年だった頃、私のあちらこちらの肌は黒ずんで血だらけで、カサカサに乾いて粉を吹いた皮膚でした。いつも、人に見られるのが恥ずかしくて包帯を巻いてみたり、クラスにいた私より酷く顔中真っ暗でカサカサな同級生k子ちゃんをとても意識して、一度も喋ることなく、卒業したことを覚えています。昭和40年代後半、アトピーという言葉はなかったように思います。当時私は、全身のアトピー特有の箇所に強いかゆみを感じ、ひっかき傷だらけで、見るに無残でしたが、顔だけは、時折、目や眉毛の周辺に少しかゆみがある程度で、傍目にすぐにわかるものではなっかたのが幸いでした。  

   ユキノシタ、ヨモギ、ハトムギ、カミツレ草、仏さんにお供えしたお水やお灰等とありとあらゆるものを試しましたが、結局は副腎皮質ホルモン剤、俗にステロイド剤と呼ばれているものを私は魔法の白いクリームと呼んでいましたが、それを塗り続けるという薬漬けの日々でした。

  

   ホルモン剤を使用すると云うことがどんなことかも知らずに、高いFKという魔法の白いクリームを不用心にも薬局に小学生が買いに行くのですから、まるで麻薬のようです。

   何本買いに行ったかわかりません。裕福な家ではありませんから、お金に余裕のある時は、まず病院、その次に薬局、そして懐具合のわるいときに、ユキノシタや、ヨモギを試していたように覚えています。  

   自分の身体を使って、こんな時にヨモギをつけると肌はどうなるか、かゆみはどうか?カミツレ草の使い方は、入浴剤が一番良かった等、まるで人体実験しているように毎日が身体との格闘の日々であったのです。

 

   私の簡単な履歴です。

 

0歳、体内記憶が今でも残っているのですが、暗いトンネルから抜け出すのが嫌で、この世に引きずり出されるのが嫌だと思って生まれて来たようでした。熱を出すたびにその悪夢を見ます。

 

5歳、車に突っ込む。空に舞い上がった身体でしたが、軽く小さな私は、軽症で済みました。

 

7歳、腎盂炎、尿毒症、敗血症と3種の合併症で生死の境をさまよいます。当時九大病院が、闘争で、やっておらず、原小児科病院に回されます。5か月経過し、父母の必死の看病で再起。しかしその間、抗生物質たっぷりの毎日で、見えないところで身体の中は燻っていたのです。そして小学校浪人に。

 

8歳~病気後、学校を転向し、学校生活の再開。身体が弱く、良く学校を休みますが、一年遅れたおかげで学校の授業は問題なく進みます。皮膚への疾患は、しょっちゅうでした。

 

11歳、当時では少し早い初潮。軽いので、恥ずかしい私は親に1年間隠します。その間、生理は2度ほどしかなかったように思います。カサカサの肌がだんだん酷くなります。アレルギー性鼻炎の為、“赤鼻”というあだ名をつけられます。

 

中学校三年間は、夏に酷くなるアトピー、自分の肌を恨み、酷いところを眺めながら、ここだけナイフで剥ぎ取りたいと、神様を恨みます。部活のテニス部は、包帯で乗り切ります。

 

学生生活、相変わらずFKの魔法のクリームのお世話を受け、短いスコートをはくのが嫌で、放送部に入ります。ロックや音楽にのめり込み、心の淀みを解消してもらいます。

 

20代前半、相変わらずの状態に嫌気がさし、母の主張していた栄養学を父がし続けていた食養生へと変更。梅干し、漬物、味噌中心の質素な食事に切り替え、極力自然から離れていることを止めるべく、まず、電子レンジをやめます。

 

20代後半、大腸炎、肺炎を患い入院を数度。ペニシリンアレルギーであることがわかります。“結核にはなれないね”と病院の先生に冷やかされます。

 

30歳になると同時位に甲状腺癌の疑いを受けます。cの2でギリギリ良性と告げられ、甲状腺を半分摘出。不安な精神状態が私を覆います。その間産まれた二人の子供は、食を見直したお蔭か、肌はふんわりピンク色、病気もせず元気。ただ、明らかにくずれそうなほど繊細なクリスタル系の子供です。

 

30代半ば、カラー物の石油系化粧を一切撤去。合成化粧品もやめます。オーガニックコスメ、ドイツコスメとの出会い。見る見る改善。クリーム洗浄、シャンプーの被害を非常に痛感します。植物オイルのみで出来た固形せっけんを障がい者施設で作り始めます。作る過程で、製作者達の手肌の綺麗さに驚き、固形せっけんの作り方の過程で、化学的な添加物を使用しなくても酸化しないせっけんを作れることがわかります。

 

40代後半、製作したせっけんが15年間酸化しない状態と、このせっけんで洗った数々の人々の肌が酸化しない状態を見続けている最中、神様の夢を見ます。  

 

   合成のせっけんをやめ、化粧品を見直し、自分で作ったせっけんのお蔭(私が作ったのではなく、神様の思いつきを私が表現しただけだったようですが)でこの15年間全く大きな病気はしなくなりました。もちろん、鼻炎も、アトピー性皮膚炎も無い。当時夢にまで見た綺麗なうすピンク色の肌に。この15年間、子宮に筋腫が2度程出来ましたが、ほぼ、全くの西洋医学的な治療はせず、お手当と食、薬膳、ハーブ等、自力で直します。なかでも、心、身、魂のバランスを崩す、環境ホルモン(内分泌撹乱物質)の影響をはっきりと後に知ることになったのですが…。 

 

“エネルギーの不循環”それが、アトピーの本当の原因

 

    現在、幼き日の経験から、環境ホルモンと自然ホルモンの関係性に興味を持ち、研究のテーマとするに至りました。それは女性性のホルモンが肝要で、産み出すエネルギーのもと、また男女が共に発するホルモンの交わりは、未知なるエネルギーであり、万物を超えたエネルギーであると確信しました。

    このことは、後のページでお話しすることにいたしますが、腸を大切とする千島学説や人間本来の自然分娩で生命のエネルギーを取り戻すこと、また手作りが基本だった昔の生活の心の豊かさや、魂の存在を意識することが四季のある日本では見聞きしやすい環境であることなどを再認識しました。

    研究のテーマである、ホルモンと代謝の関係を追求すべく、スリランカへ渡り、南インドや、スリランカのアーユルヴェーダを学びますが、そこに日本の幻影を見ます。 

   

 “エネルギーの不循環”それが、アトピーの本当の原因です。

 

   身体におこる“エネルギーの不循環”とは何か?このことを、細かくお話ししていきましょう。

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